YTOな"こころ"のブログ

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毎週17時更新!やましなおの整骨院の雑記ブログです('ω')

【平安神宮】1,000年の都「平安京」を再現したパワースポットをご紹介

平安神宮アイキャッチ

こんにちは!やましなおの整骨院です😊

 

今回は、1,000年の都「平安京」を再現したパワースポット✨京都市左京区にある"平安神宮"をご紹介。

平安神宮といえば、京都が都であった平安時代に建てられたようなイメージがありますが、その歴史は意外と浅いんです😳

平安神宮は「どのような想いで建てられて、どのような歴史があったのか?」をわかりやすく解説していくので、ぜひ最後までご覧下さい😌

 

【目次】

 

国民に崇敬された神宮の歴史

平安神宮全体
平安神宮が建てられたのは、1895年(明治28年)ということで、その歴史は120余りといったところ。

明治28年は平安京が定められて、ちょうど1,100年の節目の年✨

つまり、東京が都となった"東京奠都(とうきょうてんと)"が定められるまで、1,100年近く京都を守護した記念に建てられたものなんですね☝️

 

そんな国民から崇敬を集めていた平安神宮ですが、1940年(昭和15年)には放火事件により、本殿が焼失しているんです。

当時はまだ文化財指定を受けていなかったことから、再建に際して国からの補助金は見込めなかったそう😓

しかし、京都市民の協力はもちろん、全国からの多くの募金により、3年後には見事復興を果たしました。

平安京を再現した平安神宮を今もこうして拝観できるのは、多くの国民の力添えがあったからなんですね😌

 

 

京都の趣(おもむき)を感じる拝殿

太極殿

平安京天皇が即位(そくい)など政務を執り行った"太極殿(だいごくでん)"を縮小復元した本殿の拝殿所。

本殿には、平安京を造った第50代"桓武天皇(かんむてんのう)"

そして、平安京最後の天皇として明治維新の基を開いた第121代"孝明天皇(こうめいてんのう)"が祀られており、日本文化の祖神として多くの参拝者が訪れる場所です✨

 

大極殿の前には、"右近の橘(うこんのたちばな)"と"左近の桜(さこんのさくら)"が植えられています。

右近の橘は、平安京の頃から何度も植え替えられている橘の木で、長寿のご利益があるそう🌿

左近の桜も、同じく平安京の頃から何度も植え替えられてきた桜の木で、清らかさを大事にする日本の心を表しています。

本殿の拝殿所に木が植えられているなんて、なんとも京都らしい風情と趣(おもむき)のある光景だと感じました🎋

 

 

平安京は怨霊を恐れていた?

蒼龍楼

平安神宮は、中国からきた"陰陽道(おんみょうどう)""四神相応(しじんそうおう)"の信仰にゆかりのある神社といわれています。

当時の平安京は『北に玄武・東に蒼龍・西に白虎・南に朱雀』の四神を配置し、邪気を遮断しようとしたわけですね🤔

平安神宮においても、東には"蒼龍楼(そうりゅうろう)"・西には"白虎楼(びゃっころう)"が建てられています。

また、平安神宮を守護するように『北(上賀茂神社)・東(八坂神社)・西(松尾大社)・南(城南宮)』が建立されており、平安神宮を合わせて"京都5社めぐり"としても有名✨

 

今でこそ魔術や占いのイメージがある陰陽道ですが、平安時代には天文学と捉えられていて、その信頼度は絶大でした。

桓武天皇は、四神に平安京を守らせるだけでなく、鬼門や裏鬼門にも徹底的に神様を配置していたそうです😳

一体なぜここまで徹底して、魔除けを行わなければならなかったのでしょうか?その背景には、桓武天皇の弟に関わるちょっと怖いお話が関係しています。

白虎楼

早良親王の魂』

奈良時代末期の785年。桓武天皇は、京都の都を長岡京(ながおかきょう)へ移す計画をしていました。
しかし、計画が終盤に差し掛かったある時、責任者として活躍していた"藤原種継(ふじわらのたねつぐ)"が何者かによって暗殺されてしまうのです。
怒った桓武天皇は、様々な情報を元に種継暗殺に関与した犯人を探し当てました。その犯人の一人が、実の弟である"早良親王(さわらしんのう)"です。
早良親王は絶食を行い、無実であることを兄に主張しましたが、聞き入れてもらえず牢屋に入れられて憤死(ふんし)しました。
そしてその死後、桓武天皇の妻や母親が次々と亡くなり、暴風雨や自然災害が続発するのです。
この事態に恐れをなした桓武天皇は「親王の祟りに違いない」と霊魂を鎮めるため、弔(とむら)いの儀式を実施するのでした。
以上が、ちょっと怖いお話のさわりです。桓武天皇が魔除けに尽力(じんりょく)していたことからもわかるように、弔いの儀式では災いが止まらなかったわけですね😨
 
結局、怨霊と化した早良親王の魂には、崇道天皇(すどうてんのう)という名前が送られ、京都の上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)に祀られることになります。
 
また、疫神や怨霊を鎮めるために執り行う"御霊会(ごりょうえ)"も、平安時代に始まったとされています。
京都でいえば、全国三大祭りとして有名な"祇園祭(ぎおんまつり)"も御霊会の一つですね☝️
 
ホントに早良親王が、様々な災いを引き起こしたのかは定かではありません。
しかし、平安時代から[怨霊は神様に匹敵するくらい恐れられていた]ということは間違えないでしょう🤔
 

 

災難を生き抜いた正門

応天門

平安京で、政務や特別な儀式を行う場の正門として重要な役割を担(にな)っていた"応天門(おうてんもん)"

平安神宮においても、参拝者や本殿を守る神門として、非常に重要な役割を担っているといえるでしょう✨

ちなみに応天門に掲げられていた額の文字は、"弘法大師(空海)"が書いたものと推測されています。

弘法大師は、"応"の最初の点が抜けていることに後から気付き、慌てて筆を投げつけて文字を書きたしたそう(笑)

『弘法(こうぼう)も筆のあやまり』は、この応天門から誕生したことわざだったわけですね😳

 

当時からそれだけ重要な正門として認識されていた応天門ですが、平安京と同じく何度も焼失にあっているわけです。

一番有名なのは、藤原氏の陰謀により起きたとされる866年"応天門の変"での放火事件ですかね🔥

しかし、災害で何度危機的状況が訪れようと、多くの人の協力により再建してきたのが、平安京であり平安神宮なんです。

 

資料は脚色(きゃくしょく)されている可能性も大いにあります😅

しかし、平安時代が、怨霊の祟りだと恐れをなすくらい疫病や自然災害に見舞われた時代であったことは、間違いない。

国民たちもアイディアを出し合い、互いに協力しながら、大変な時代を生き抜いてきたのでしょう🤝

 

悲しいことに、危機的な状況へ陥(おちい)ると、自分を守るために他人を否定したり、間違った情報を発信して自分だけ利益を得ようと考える人間がでてくるものです。

 

なにも"新しい情報"だから"正しい"とは限りません🤔

正しい判断をするためにも「自分の感覚を大切にする」ということは、非常に重要なことですよね。

こんな時代だからこそ、年末年始にかけては、平安神宮を参拝してみてはいかがでしょうか🌈✨

住所:〒606-8341

京都市左京区岡崎西天王町97

TEL:075-761-0221

拝観時間:6:00~17:00

駐車場:近くに有料P